10月28日「55年前の今日『キューバ危機』を脱した」

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 昨日、54年前に起きたアメリカの“ケネディ大統領暗殺事件”の捜査状況を記した最後の機密文書が公開されたが、トランプ大統領の判断により全面公開とはならなかったことなどが、今朝の新聞で報じられています。

 そして、55年前の今日10月28日は、人類が核戦争の危機を脱した「キューバ危機の13日間」の最後の日だったということです。

 当時、キューバには広島型の60倍の威力を持つ核ミサイル42基が配備され、上陸する米軍に用いる戦術核が多数あり、危機の翌年、ハーマン・カーンはもし、米軍がキューバを空爆したら、東西ドイツで核の応酬となり、ワルシャワ条約機構とNATO軍の、ソ連と米国の核の撃ちあいとなり、ソ連の全人口の40%、米国の同70%が死亡したと推測されていたとのことです。

 また、当時のマクナマラ米国防長官は「人間は過ちをおかす」ものであり「核のない世界に戻ることこそ、キューバ危機の教訓だ」と後に語っています。

 東京大学社会科学研究所と釜石市は、2016年11月、東日本大震災による津波の記憶継承と将来における危機対応を研究するための協働拠点として、危機対応研究センターを発足させていますが、このセンターのホームページに保城広至氏の「キューバ危機(1962)はなぜ回避できたのか?」2017年1月19日とのエッセイがあります。

 そこに、「(最終的に)危機を回避した米国とソ連の政策決定過程に関して、二つの教訓を導き出すことができる。すなわち一つ目は、討議の重要性である。最適な対応を導き出すには、ケネディ政権のように、多様なメンバーによる議論をある程度続けることが好ましい。それによって選択肢も増え、ある政策を採用した場合に生じうる結果の予想頻度も上がるからである。キューバ危機に対するアメリカの政策形成グループは、まさにその成功例と言える。
 そして教訓の二つ目として挙げられるのが、その討議を可能にしたある程度の時間の必要性である。ミサイル基地が発見されてから海上封鎖が決定されるまで、4日という時間があった。この4日間で、ExCommのメンバーはさまざまな意見変遷を経験した。国際危機が生じたときは、即座にその対応をとらなければならず、時間的な余裕はあまりないことが多い。それでもなお、個人の即決によって政策が決まってしまえば、結果は悲惨なことになりかねない。仮にケネディが当初持っていた自らの空爆案を採用していれば、その結果は実際よりも確実に悪化していたはずである。また、米政府による海上封鎖の発表から、実際に封鎖されるまではさらに3日という時間があった。この3日という猶予期間を米国が用意したからこそ?私はこの、ソ連に時間を与えたという事実こそが、最もすばらしい米国の選択であると思っている?、ソ連側はさまざまな選択肢を考慮することができ、最終的なミサイル撤去へと繋がったのである。
 「13日間」というのは短いと思われるかもしれないが、実は国際危機において13日間も考える時間が許されていた両国の政策形成者は、非常に幸運だったのである。」
 とあります。

 しかし、今の北朝鮮危機を前に、トランプ政権や安倍政権は、挑発合戦を繰り返し、自民党は選挙で北朝鮮の核ミサイル危機を煽るだけ煽って「自民大勝は北朝鮮のおかげ」と言ってはばからないことに、これだけ過去に学ぼうとしない日米政権連合に危機感を抱かざるをえません。

 まだ、真摯に討議する時間はあるはずで、「圧力の強化」より「対話の努力」でこそ、現在の北朝鮮危機回避を図ってもらいたいものです。

 そんな努力もせずに何が国難突破といえるのかと憤りすら感じます。
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Author:sigeo0716
高知県議会議員。所属会派「県民の会」。
社民党・新社会党推薦。現在、四期目。
「憲法の精神を県政のすみずみに-希望・豊かさ・安心の県政を」を目指して、頑張ります。
趣味はプロレスを中心に格闘技TV観戦。上方落語・漫才鑑賞。

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