5月7日「『生存権』を『自己責任』で侵害させない」

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 5月5日付け朝日新聞「憲法を考える」のコーナーは「『自己責任だ』蔓延する弱者敵視」との見出しで、作り出されている貧困、そのただ中で生きている人々を「自己責任」のもとに批判する今の社会・風潮と憲法25条の「生存権」について、書かれています。

 「下流老人」の著者で、「反貧困」の活動を10年以上続ける藤田孝典さんは近年、見知らぬ人から非難されることが増えたといいます。

 記事にもありますが、14年前、イラク中部ファルージャ近郊で、武装勢力に拘束され、解放されて帰国した18歳の青年に、「自己責任」という言葉が浴びせかけられてから「自己責任」というバッシングの言葉が社会的弱者に向けても降り注がれ始めたように思います。

 私たちが、地域でいろいろな相談を受けている際に、「経済的な弱者が別の弱者に敵意を向け、批判する声」を聞くこともたびたびあります。

 そして、弱者に厳しい風潮は、世論や行政すら巻き込んで広がり、昨年「保護なめんな(HOGO NAMENNA)」と書かれたジャンパーを神奈川県小田原市の生活保護担当職員らが着ていたことが、発覚しました。

 井手英策・慶応大教授(財政社会学)氏は、「今の日本は『勤労の義務を果たさない人の命を軽んじる社会』」だと言います。

 そして、前述した藤田孝典さんは、昨年出版した「国民総『最底辺』社会 貧困クライシス」の中で、「分断された社会派は人の流れがなくなり、持続可能性も希望もない。コストもかかる。誰もが2級市民と言われたくないので、少しぐらい貧しくても我慢し、体調が悪くても無理をして働き、低賃金を受け入れるしかなくなる。貧困バッシング行きつく社会は、そのような社会だ。叩いても誰も得をしない、そのことを知ってほしい。そして、自分がそうなったときに自分を助けてくれる制度を求めたい。目先の採算では計り知れない社会的利益を想像してほしい」と書かれています。

 記事は、最後に「不毛な足の引っ張り合いをやめるには、この国の人すべてを包む仲間意識、言い換えれば、『私たち』という感覚を育むことが欠かせない。『自己責任』という乾いた言葉で、人々の間に分断線を引くのではなく。」と結んでいます。

 そういう社会を、「私たち」の手で、もう一度目指してみませんか。
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sigeo0716

Author:sigeo0716
高知県議会議員。所属会派「県民の会」。
社民党・新社会党推薦。現在、四期目。
「憲法の精神を県政のすみずみに-希望・豊かさ・安心の県政を」を目指して、頑張ります。
趣味はプロレスを中心に格闘技TV観戦。上方落語・漫才鑑賞。

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